みなさんは「愛楊葉児(あいようように)」という四字熟語を知っていますか?
仏教由来の言葉で「子どもが黄色く色づいたヤナギの枯れ葉を黄金だと思い込んで喜んでいる姿」から、「表面的な知識だけではなく物事の真理を深く探求しなさい」という戒めとして使われます。
でも、私はこの言葉を知ったとき、全く逆の感想を持ちました。
「むしろ、ただの枯れ葉に価値を見出だせる子どものほうに、本当の才能があるのではないか?」と。
①才能とは価値を見出すことである
大人はそれを「ただの枯れ葉(無価値なもの)」と切り捨てます。それは客観的な事実かもしれませんが、どこか味気ないものです。一方で子どもはその葉っぱに黄金の輝きを見出しています。
世界にまだない価値を発見し、そこに意味を与えること。これこそが芸術やイノベーションを生み出す「本物の才能」の正体ではないでしょうか。
②価値は時価であり育てるもの
モノの価値は最初から固定されているわけではありません。時価という言葉があるように価値は状況や人の想いによって変化し育てることができるものです。
子どもが枯れ葉に熱量を注ぎ大切に愛でることで、その葉っぱは市場のルールを超えた「世界にひとつの宝物」へと変化します。価値とは誰かが情熱を注ぐプロセスそのものによって高まっていくのです。
③真理という文字に囚われる大人の危うさ
「それはただの葉っぱだ、真理を見ろ」と正論を振りかざす大人こそ実は一番、本質から遠ざかっているのかもしれません。教科書通りの正解(真理)に安心し目の前にある「子どもの純粋なときめき」という動かしがたい現実を無視してしまう。言葉の字面に囚われた大人の思考停止よりも五感で価値をクリエイトしている子どものほうがよほど、世界の真理に触れているように思います。
④自分だけの黄金を育てよう
他人が決めた「正解」や「真理」に合わせる必要はありません。大切なのは周りから「ただの枯れ葉」と言われるものであったとしても自分がそこに価値を見出し、大切に育てていくこと。あなたにとっての「黄金の葉っぱ」は今、目の前にありますか?

























